- 書籍データ
- 著者 中島梓
- 出版社 ポプラ文庫(書き下ろし)
- 初版 2008年8月5日
新たなガンの経緯
前回乳ガン闘病記の「アマゾネスのように」をご紹介した中島梓さんの、闘病記第二弾ともいえるのがこの「ガン病棟のピーターラビット」です。
乳ガンから17年後、中島さんは乳ガンのことも忘れるぐらいの日々を送っていのですが、突然猛烈なかゆみに襲われたそうです。そしてある日自分の白目が黄色いことに気付き、かかりつけの先生のところに行ったら「黄疸」と診断され、即時に大学病院に紹介され「入院になるから」と言われたそうです。そして「胆管閉塞による黄疸」でいままでのかゆみもそのせいだとわかり、そのまま入院することになりました。検査の結果「下部胆管ガン」の診断で、必ず手術が必要と言うことで、今度は築地のがんセンターに入院、内臓の手術のため何度も絶食をすることになったとのことです。なので食べることに関したことも多かったですね。退院できるまでの気持ちの揺れ動く様子とか、生きることの意味などもたくさん書かれています。
タイトルのピーターラビットは旦那様からのクリスマスプレゼント
このエッセイのタイトルにあるピーターラビットは、入院生活をする奥さんのために旦那様が買ってきてくれたピーターラビットの30センチほどの人形のことだったんですね。それはクリスマスプレゼントで、中島さんもまた入院前に旦那様へのクリスマスプレゼントのニットを準備して、アシスタントさんに託しておいたそうです。旦那様はそのあと「あひるのジマイマ」も買ってきてくれたそうです。愛情のこもったプレゼントが、きっと何よりの心の支えになったのでしょうね。
このピーターラビットは私の闘病生活のあいだじゅう、ずーっと壁際に立って、私を見守っていてくれました。左手にニンジンを提げているのが、なんとなく「あずささんが御飯食べられるようになまで僕もお預けしてます」といってるみたいで、なかなか心がなごむのでした。
p51 ガン病棟のピーターラビットより
「身綺麗にする」ことが入院生活のささえのひとつだった
とかく体調が悪くなると、人は「身綺麗にする」ことにさえおっくうになります。かくいう私は極度のめんどくさがりやで、まめな主人のおかげでなんとか維持をしている状態です。ですがやはりこの「身綺麗にする」ということは、闘病生活ではかなり重要なことではないかとうすうす思ってはいました。これができないと外出する気力さえ出てこないんですね。
中島さんの家には普通の家にはなかなか見かけない、爬虫類とか甲殻類とかのペットがいたそうです。その中の一つ、ザリガニのお話が1つの章として書かれていました。
このザリガニというもの、大きなハサミがくっついていますが、そのほかにもうちょっと内側にもっと小さなハサミもあって、この四本のハサミを使って、四六時中「お体の手入れ」をするのです。なかなかきれい好きな生物で、自分のからだにコケだの、ゴミだのがついてくると、それをハサミでせっせと綺麗にお掃除するのです。でもって、そうやっているあいだは、健康なのです、ザリガニ。
p89-90 きれいなざりがに
なんでこの病気のエッセイにザリガニなんだろう?と思ったら、健康なザリガニは自分で体のケアをしてきれいにできるけど、水が汚れたりして体が汚れると元気がなくなりお手入れもできなくなって、しまいに死んでしまう場合もあるということで、確かに人間にも言えることなんだな…と思います。
これはもちろん証拠があるわけじゃないんで、「そういう気がする」というだけのことにすぎませんが、どうも「身綺麗にしている人」のほうが、回復が早いような気がします。
といってもこれはもちろん、話が逆で、「身綺麗にするだけのいい状態に戻ってこられたから」「元気が出てきて、身綺麗に出来たから」だからまもなく退院、というような人が多いのかもしれないけれど
p95 きれいなザリガニ
確かにきれいにしているから元気になれるのか、元気になってきたからきれいにできるのかって、まるで鶏と卵の話に近い感じですね。どちらかが先のはずなのですが…でもやっぱりここは思いきり同意する部分でもあります。
そう思うせいばかりではありませんが、とにかく、入院生活で「身綺麗にしていること」というのは、私にとってはとてもとても重大な問題でした。「身綺麗にできなくなったらおしまいだ」というのが、自分にとってのとても大きなポイントだったのです。といっても、それはあくまでも「私にとっての身綺麗」にすぎないんですが。
p91 きれいなざりがに
入院中も眉とアイラインは欠かさなかったという中島さんですが、人から見たらもしかしたら滑稽なことかもしれないけれど、本人にとってはとても大切なこともあると書かれています。
私も抗ガン剤で髪が抜けて、生えそろうまでの間にとウイッグを買ってかぶっています。今6個目になりますが(同じデザインを2個ずつ時間差で買っています)、髪の毛というものが本人の印象をとても大きく左右することを学びました。今でもかぶると5歳は(もしかしたら10歳ぐらいかも)若返ります。そして若返った自分を鏡で見ることで元気が出てきている気がします。そしてウイッグに隠れてしまうのに、ちゃんと定期的に美容室に通って地肌のケアとカットをすることが、自分の身だしなみの基本となっています。ポイントは人それぞれだし、単に気持ちの問題かもしれないんですけどね。
「食べること」を考える
入院すれば当然「病院食」になるわけで、普段味の濃いものを食べ慣れている私たちにとって、なかなか「おいしい」ものを期待することはできないですが、そういえば私の場合、副作用のせいでご飯がほとんど食べられなかったので、思えば「まずい」という記憶さえないんですね。その前に口に入らないし、食べてもすぐに吐いてしまっていたから…で、売店でバニラアイスとかプリンとかゼリーとか…ほぼ流動食みたいなものを買ってきて食べた記憶があります。この時私が感じたのは「ああ、人間食べなければ痩せるんだな…」ってことでした。なにせ一気に10キロ以上痩せましたから、元がすこしぽっちゃりでよかった、と思いましたけどね。
中島さんが入院したのは築地にある国立がんセンター中央病院とのことで、あのグルメの町築地の場外市場を見下ろすところだったそうです。本文にはそのことに関しても書かれていますが、今回は食べることについての感想を抜粋してみました。
にもかかわらず、やっぱり駄目なんだ、と言うのが私の「病院食」全般についての実感でした。駄目といっちゃあ申し訳ないですね。ほんとに失礼なんだけど、でも、今回のこの経験通じて、ガンセンターの給食部?がすごく頑張ってるなあと思っただけに、逆に私は「ああ、食べものというのは、やっぱり本当に『個人的なもの』でしかありえないんだな」という感を強くしたのです。三分粥、五分粥、全粥、とすすむたびに、そのときどきにはわっという気分でちょっと食欲が出たものですが、二回目、遅くとも三回目になるともう、その食欲は失せてしまいました。そしてまた、「リハビリなんだから、退院できるように、点滴が抜けるように一生懸命食べなくては」という思いでなんとかか自分をなだめて口に運ぶようになる。
p71 食べるということは…
確かに食べることはリハビリでもあるんですね。これを食べなければ元気が出ない、元気が出なければ退院できない、この思いは私も経験したものです。それから、退院すれば好きなものが食べられるっていうのも、一つの励みではありました。中島さんは絶食の間の栄養はすべて点滴で賄っていたので、点滴を抜くためには食べなくてはと言う気持ちはとても大きかったようです。
なにせ一四日間絶食してた人ですから、「食べなくても生きてゆけるんじゃないか」という思いがどこかにある、一方では「ああ、やっぱり食べることが人間にとっては生きる支えでもあれば、やっぱり食べなくては生きてゆけなかったんだな」という切実な思いがある。その両方で、なんか本当に「食べることって、本当に大事にしなくてはいけないんだな」と思う。旦那はあるグルメ雑誌の「食こそエンターテインメント」というキャッチコピーが嫌いで、「食だけはエンターテインメントにしてはいけないんだ」と力説するのですが、「そうかもしれないなあ」と昨今よく思います。確かにエンターテインメントではない。「真剣に食べなくてはいけない」ということ。
p119 食べる話ふたたび
私はガンになっていろんな本を読み漁りましたが、食べ物については本当にいろんな説があって、命のスープというのも試してみたりしました。めんどくさがり屋の私にはかなりハードルが高くて、すぐに挫折してしまいましたけど…ただ「体は食べたものでできている」という部分はちゃんと考えなければならないことだと思います。どの説が正しいのか、自分で検証するにも体は一つだけですから、私の場合は「気を付ける」にとどめることにしました。あまりこだわってもストレスになるだけだし…。
この本の中に突然ある禅寺のお坊さんのお話が出てきます。中島さん自身も闘病記でその話を書くことについてためらいもあったようですが、食べることを考える上でどうしても伝えたかったみたいですね。そして食べることだけでなく生き方そのものについてもとても尊敬されていたのが分かります。初めて訪問した時のことを次のように書かれています。
そこで出た、宗哲和尚の夫人まりさんの料理を食べて、私はちょっと一種茫然としました。というよりも、カルチャーショックを受けました。そうあろうか、とも思ってはいたのですが、なんとなく「私の想像をこえたもの」がそこにあったからです。
p122 宗哲さんのこと
何よりも驚いたのは、しかし、そのときの私にとってもかなり膨大、といえるその量を、何の苦も無くぺろりと入ってしまった上に、すすめられてゆかりご飯をおかわりしても、全然胃が苦しくならなかったことでした。
その上に、なんといったらいいのでしょうか、「魂が満たされた」感じがしたのです。これまでいい加減私も食い意地が張っているからおいしいものをあれやこれや食べてきて、秋の上海で上海がカニを食べるやら、北京の有名店で北京ダックを食べるやら、さんざんゼイタクをしてきましたが、ものを食べてこんな経験ははじめてのことでした。
p123 宗哲さんのこと
ここは本当にうらやましい経験ですね。さすがに「体じゅうの細胞が喜ぶ」経験はしたことがないです。おいしいものを食べると嬉しいのは間違いないのですが…ただ精進料理というものはもともとはここに書かれているような食事のことだったのでしょうね。
その宗哲和尚の本にいたるところに出てくる哲学が、いや、哲学というより、禅僧なのですから禅の教えなわけですが、「ものをいとしんで食べること、大切に食べること、食べもののいのちをいただくこと」です。私は初めて不識庵を訪れてそこの食事をいただいて、その帰りじゅう、なんとなく「胃袋ではなく、からだじゅうの細胞が満たされた」ような思いで一杯だったので、次に伺ったときに、「不識庵の御飯は『ソウルフード』ですね」と申し上げたところ、その言葉をご夫妻に気に入っていただき、次の御本には「魂の食」というタイトルで、その言葉を使わせてください、というお申し込みをいただきました。もちろん快諾しました。
p125 宗哲さんのこと
もともとこの宗哲和尚様の本の愛読者であった中島さんですが、実は和尚様の方も「伊集院大介」(中島さんの小説のキャラクター)の大ファンだったそうです。お互いに通じ合うものが多かったようですが、間もなく宗哲和尚様はふらりとあちら側に旅立たれたのがとても残念だと書かれています。人の出会いも一期一会、そんなお話も書かれています。
本当に大事なこと 入院でクリアになったこと
入院生活はほんとにいろんな日常をシャットアウトしてしまうものですが、思えばいろんな情報の洪水からある意味隔離されて、無駄遣いなんかはほんとになくなるものなんですね。中島さんは今までのクレジットカードの使い方に驚いたと書かれています。そしていろんなものがそぎ落とされて、本質的なものだけが残るというのは、私も少なからず感じたことです。まあ…入院はもうできるだけしたくありませんけどね。
この二ヶ月は、ほんのちょっとその「毒抜き」になったような気がします。面白くないことがあったからなんか買おうかな、いいことがあったから自分へのご褒美になんかちょっと張り込んでしまおうかな。たまにはちょっといいところでお食事したいな。そうした《欲望》が、なんだかちょっとこの二ヶ月のあいだに消えてしまった気がします。このあいだ私にとって必要だったのは、ただ、「もう一度健康になりたい」こと、そのための努力だけでしたから。
健康でなければ、どれほどたくさんの着物を買っても着ることが出来ない。管だらけでベッドに横たわっていれば、もう必要なのは腹帯だの和式の寝間着だの、それだけでしかないのです。
p133-134 本当に大事なこと
おそらく最低半年は夜遊びもできないだろうし、社会生活の全部を失ってしまったような気分でしたが、ある意味、それはそれで清々しくもありました。まめにメールをくれるよき友達と、口ではあれこれ心配してくれるけれどじっさいには自分の生活のほうがずっと重大で私どころじゃないんだな、という知り合いだとか、「何が自分にとって大事なのか」ということもなんだかずいぶんクリアになってしまった、という気がします。
p134 本当に大事なこと
少しずつ、これから残された年月を、それが長いのか短いのか誰にもわからないけれども、「本当にやりたいこと」「本当に大事なこと」「本当にしたいこと、望むこと」だけをやってゆけるのだったら、たとえそれが一年しかなくても私はそんなに不幸じゃないと思う。
p136-137 本当に大事なこと
病気をしたことで「より大事なこと」が見えてくるんですね。私もそうでした。というか私の場合「リセット」された感じまでしましたけど。失ったものも多かったけど、確かに得るものありました。そして余分なものが出ていった後には、なぜか清々しいほどの心の空間ができていました。
できればそこを「好きな物」や「幸せな気持ち」でうめていけたらいいなと思います。まあ、実生活に戻ればそんなものばかりとはいきませんでしたけど、だから私が最近はまったYouTubeチャンネルの「週末ビフォーアフター」を見た時「とにかく更地をつくる」と言うのがストレートに入ってきたのかもしれませんね。あれは一度お部屋をリセットするということなんだな…と。リセットしたあとにほんとに大切なものだけをそこに入れていきたいですね~ほんとに願望なんですが…とても大切なことだから繰り返してみたものの、私のもともとの性格が邪魔をしてます。その名を「すぼら」といいますけど…
健康な時には忘れている「誰もがいつかは死ぬ」ということを、病気になったことで思い出すというか、見ないことにしていたのに見せつけられたというか…でも不思議に「自分が不幸だ」とは思わなかったのは不思議でしたが、中島さんのような人でもそうなんですね。
これまで、重箱の隅をつつくようにあら探しをする人や、むきになって私を嫌う人、私を目の敵にする人たちにまで、何とかして理解してもらおう、嫌うのをやめてもらおうとじたばたしていたから、いっそうかれらには面白かったのに違いない。でももう、どうでもいい。私の人生があと一年か二年しかないのだったら、私はそういうものにかかわりあって時間を一分でも無駄にしていることは出来ないではないかーそんなことも思いましたた。もう、ひとのおもわくなどかかわりはない。本当に大事なことだけを、やらなくてはならないことだけをまっしぐらに、残された限りある時間でやってゆかなくてはいけないのだから。
p137-138 本当に大事なこと
そしてここ、これは健康な人でもこの考え方はとても参考になると思います。特にストレスまみれの人、忙しすぎて自分を壊してしまいそうな人、周りのことを考えすぎて身動きが取れないような人は、一度立ち止まって考えてみてほしいところです。本当に大事なことだけに時間を使う、それだけでもこの先の人生が良くなると思います。
生きてゆく それは「生きていることが好きだから」
まあ、こういう確率の問題というのは、べつだん、四人にひとりであろうと、一万人にひとりであろうと、その「ひとり」になってしまった人間はまさに的を射当てたのだし、そうでない残りは結局何万人し同じ運命の人がいようと、自分がその運命であるというのは「同じこと」で、結局は、ゼロか100か、ということについては、確率が一%でも九〇%でもあまりかわりはない、と私は思うものです。しかし、その判定の結果、私はこのさきも、予防的に抗ガン剤の治療を続けることになりました。
p208-209 生きてゆく
中島さんのガンは最終的には「すい臓ガン」だったそうです。それが分かったのは病理検査で、結果が出た時には退院してずいぶん経ってからだったようです。ガンはその元の場所によって全くちがったものになり、また個人ごとにその性質も治療法も違うようです。すい臓ガンというのは5年生存率が極めて低いと言われるガンですが、それでも中島さんは当事者にとっては0か100でしかないと書いています。
私は、弟がずっと寝たきりだったせいで、「病気のほうがトクをする」「病気のほうがエライ」「病気のほうが大事にしてもらえる」っていう、精神的な病を多少、いや、かなり持っている人だったのですが、こうやってじりじりしながら療養していると、つくづくと、「それどころじゃない」って痛感しますねえ。元気じゃなくちゃ駄目です。本当に、健康でなきゃ、駄目です。
P214-215 生きてゆく
ただでさえ「おねえちゃん」というのは我慢を強いられる立場ですが、寝たきりの弟さんを持っていた中島さんは、幼いころから「病気になるとやさしくしてもらえる」と思っていたようですね。でも実際なってみたら「それどころじゃなかった」ということで…なんでも人の立場はよく見えるということですけどね。
それよりもやはり失った最大のものって「健康」なんですよね。私の父なんかはお酒とたばこが大好きで、「それで命が縮んでもそれでいい」なんて言っていましたが、みごとに「肺ガン」と「肺気腫」のダブルパンチでした。それでも退院したら隠れてたばこ吸ってましたけど…。まあたばこ吸わない私でも別のガンになるわけですから、一概には言えませんが、失ってみると健康って本当に大事なんですね。私も今は海外はあきらめています。パスポートも切れたままです。もしも海外で具合が悪くなったらと考えたら、やはりどんなに遠出しても国内にしておこうと思っています。ただ、国内でもまだ知らない場所、何度も行きたい場所もたくさんあるので、それを不幸だとは思ってはいませんけどね。そもそも地元大好きな人間ですしね。
ただひとつ確かなのは、私は生きている限り、生きていることをとても好きだろうということです。だけれども、死ななくてはならないときには、「まあ、しょうがないから死ぬしかないな」ということです。だから、それまでのあいだに、何年かわからない私の残りの人生のなかで、一冊でも多く、一巻でも先へ、一行でも多くーそう思える仕事(どうしても小説書きを「仕事」ということは、私には抵抗があってならないのですが)にめぐりあえた私は、まれにみるほどの幸せ者だと思います。同時にまた、その自分をすべて受け入れ、理解し、愛してくれる伴侶や家族ゆファンの人達にめぐまれた私は、これまたまれに見るわど幸せな人間だと思います。
だから、私は、やっぱり生きてゆくでしょう。
p222 生きてゆく
中島さんはすでに亡くなられてはいますが、小説家としての名前「栗本薫」さんで出したグインサーガは130巻、141ページで終わっています。(ただし続きは他の方々が書き継いで170巻ぐらいまで出ていると思います)最後まで書くことを諦めなかったその姿勢は、141ページという数字が物語っています、その巻は他のほぼ半分ぐらいの厚さなんですね。
私は個人的に栗本さん部分のあと読んではいないんですけれど。今も130巻の「見知らぬ明日」は手元にあります。その作品は今でも鮮やかに私の心にも残っていますしね。漫画、舞台、アニメにもなっているので知っている人はたくさんいると思います。ただひとつ残念なのはその本当の結末は誰も知らないということですね。
私にとっての一つの道しるべ
ここに抜粋してご紹介したほかにも、さすがに作者・エッセイストとして大量の文章を考え、それを形にして、そして多くの人の共感を得てきた方の書かれる文章だなと思うものがたくさんありました。もちろんグイン・サーガをはじめ伊集院大介シリーズなども長年読んできたファンの一人なので、ファンのよく目はあるかもしれませんが…
なによりもその経験を経てなお命の限り生きることを諦めない姿勢は、私の一つの道しるべになったと思います。
私も「生きることが好き」です。そして「生きていればこそ」できることはまだまだたくさんあると思っています。たとえ明日終わるかもしれなくても、後悔しない人生を送るというぼんやりとした私の願いは、この本を読むことでより鮮明な願いになりました。こうして体験を書き残してくれたことに感謝しています。
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