ただいまサイトの手直し中です。

「花ありて人生は楽し」私の座右の銘

目次

「花」とは…好きなものであり、楽しみのこと

皆さんは、「好き」なことはありますか?「好き」と「嫌い」どちらが多いですか?人生を終えるときどちらを思い出すと思いますか?

考えてみると「花」とは、「見ているだけで笑顔になる」「考えているだけで優しい顔になる」ような存在すべてのことかもしれませんね。もちろん「花」そのものもそうだし、「大好き」な家族や友達、ペットもそうだし趣味や押しまで。「好き」なことがあれば人生そのものの楽しみになりますよね。

「好きなこと」は人の心を慰めるだけではなく、生きがいになることもあります。そして人の心をつないでくれることもあります。東北住まいの私に届いた退院祝いの花束は、「好き」がきっかけで知り合うことができた遠い名古屋の友人からでした。その時私は「花ありて人生は楽し」という言葉を、しみじみと思い出したのです。

私もそんな「好き」を探しながら、読んでくださる皆さんにも、それぞれの「好き」を探してもらえたらなと思います。

今も忘れない湯飲み茶わんの思い出

「花ありて人生は楽し」この言葉をサブタイトルにした理由があります。それはとても遠い小学生時代の思い出です。五年生の私たちは初めて担任の先生の入院というものを経験しました。どんな病気だったのかはそのときの私たちには知る由もありませんでしたが、生徒の何人かで病院にお見舞いに行くことになりました。恐る恐る病室に入った時の久しぶりに見た先生の笑顔以外は、一緒に行った友達がだれで、何人でいったのかもすでに記憶の彼方となりました。でもその時の思い出が長く心に残ることになる、ひとつの「物」の存在がありました。

退院した先生から生徒一人一人に絵柄の違う湯飲み茶わんが手渡されました。私のは何だったか…椿の花のような気もしましたが、赤い花という以外はおぼろげです。そしてその裏側に書かれていた一言が「花ありて人生は楽し」という言葉でした。

小学生だった私はその後その湯飲みを大切に使っていたので、その言葉を毎日目にすることになりました。卒業後その先生とは一度もお会いする機会はありません。あの茶碗…実家にあるかな?もうないかな?一度探してみようと思います。

今は荒れ果てた、昔は花にあふれていた母の庭

そして「花」については、いくつかの思い出があります。

私の母はアパート暮らしが終わって、念願のマイホームを建てた時に、狭いながらも庭にたくさんの花を植えました。道行く人がわざわざ話しかけてくるほど花にあふれていて、ご近所さんとはお互いに種や苗を交換したりして増えていったものです。

母は切り花にできるような茎の長い花を好んでいましたが、どういうわけか私は松葉ボタンとか勿忘草とかデージーとか…母に言わせればなんの役にも立たない花の種ばかりもってきていたんです。でもその花の種はほんの数年前までところどころに…どころか、松葉ボタンなんかは家の足元をリボンのように飾っていたんです。

春先の水仙
初夏の白躑躅
今もある松葉ボタンの縁取り
咲き始めの紫陽花
淡いピンクの芍薬 

母の庭はごくありふれた花ばかりでしたけど、雪の季節以外はいつも何かしらの花が咲いていました。福寿草・クロッカスに始まって、水仙・チューリップ・ツツジにサツキ・紫陽花、菖蒲・紫露草・向日葵・矢車草・日日草に千日草、百合、デルフィニウム・テッセン・菊もいろんなのがありました。多分私が思い出せないものもたくさん…そこにトマトやキュウリ、いんげんに枝豆、トウモロコシやすいかにかぼちゃなんかも交じってましたけど…

その庭は母が入院して久しく、今は荒れ果ててしまっています。主のいない庭にはセイタカアワダチソウがはびこってしまいました。まだ残っている花もあるんですが…。これからぼちぼちと、私のスマホに残っているその花たちを、このブログに載せていけたらいいなと、そんなことを考えています。

今住んでいる自宅も、私は全く手を出しませんが、義母が植えている花の中で私が好きな花があります。クリスマスローズです。またそれはいつか載せてみたいと思います。

苦しいときに届いた1通の絵はがき

まだ二十代のころでした。とても苦しい時期があり(不思議なものでその理由が何だったのか、すでに覚えてはいないのですが)、そんなときにしばらく会っていなかった高校時代の友人から一枚のはがきが届いたんです。

一面の黄色い花(菜の花だったかな?)の絵葉書にたった二行「くるしみを たべて たべつづけて、いつか夢咲く花になれ」という手書きの文字の絵はがき。とても慰めになり励ましにもなりました。それがどうして私が苦しいのがわかったんだろう?というタイミングで届いたんですね。あの時は本当に不思議でしたね。でも今でも忘れられない絵はがきです。文芸部で、まさに「文学少女」そのものだった彼女とは、昔から不思議な距離感の友人なんですよね。

その友人とは二年ほど前に、そのときでさえ十年以上ぶりに会いました。ふと思いついて電話して彼女の家に遊びに行ったんです。私が実家を離れるまではほんとに良く会っていたのに、私が結婚して地元を離れてから、本当に久しぶりに会ったのですが、全く変わらないんですね。話すことがたくさんあって時間はあっという間に過ぎてしまいました。また落ち着いたらたくさん話したいことがあるんですけどね。

自分の人生の花を探して…1に「体験」2に「読書」

ところで、「好き」を見つけるにはどうしたらいいんでしょうか?私は「体験」することだと思っています。何かを知ることで好きか嫌いかが見えてくるんですね。まさに「百聞は一見に如かず」です。知らなければ「好き」になることは絶対にありませんから。旅行に行く、実際にやってみる、自分の興味のままに歩いてみる。

それでも一人の人間が「体験」できることには限度があります。お金も時間も圧倒的に足りないのにどうやって「体験」するのか…そこで「読書」の出番となります。遠い土地の物語も、遠い昔の物語も、今一番はやっている物語も、学びたいことも、その多くは「読書」で見ることが出来ます。そしてたくさんの本を読むと、そこに「想像力」が生まれてきます。中には「創造力」まで身についてしまう、それが読書の持つ力だと思います。

韓ドラ大好きな私としては「ドラマ」「映画」も疑似体験にいいと思います。実際の景色、実際の言葉、実際の生活などを映像を通してみることが出来ますよね、そしてそれをきっかけに関係のある場所に行ったり、出演者の人のファンになったりして、「好き」のエリアはどんどん広がっていくと思うんです。その人にとっての「好き」はそれぞれです。でも一つの「好き」をきっかけに広がる世界を、ぜひ体験してみてほしいなと思います。いつか私のような年齢になった時に、心の中に素敵な「花」を咲かせるために、若い方には今からその「花の種」を見つけてほしいと思います。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次