- 書籍データ
- 作品名 転移
- 著者 中島梓
- 発行所 朝日新聞出版
- 初版 2009年11月30日
この本は中島さんがすい臓ガンの手術後の退院以降、亡くなられるまでのことが書かれています。前の「ガン病棟のピーターラビット」の続きと言えるエッセイ、というより日記そのものですので、ちょっとメンタル的に弱い方や今まさしく闘病中の方の中には、最後の方は読まない方がいいかもしれません。
かくいう私は抗ガン剤治療中であり、ちょうどこの本を読んでいるときにCTとPET検査を受けて結果待ちの間だったので、かなりどぎまぎしながら最後まで読みましたけど、さすがに最後の手書きの二枚のコピー部分とPCで入力された⏎の連続のところは何とも言えない厳粛な気持ちになりました。本当に最後の最後まで「書く」ことを諦めない、まさに「文筆家」の人生を送られたんだなと思います。
その間の病気の経過、心の揺れ動き、そして献身的に介護してくれていたご主人のガン手術と…さまざまな「患者」としての想いは、一人の「患者」の私としてはとても共感できる部分も多くありました。そして、私個人としては最後まで読んだことで「生きることの意味」や「病気との向き合い方」を考える時間を持つことが出来たので、こうして書き残していただけたことは、本当にありがたいことだと思えました。
「ガン病棟のピーターラビット」での退院後に思いがけない肝転移
ようやく体のほうも少しずつ復活してきて、そろそろよろしいかとライブの予定など゛も入れはじめた4月あたまの、がんセンターでの定期健診で、CTスキャンをとってもらったところ、あっさりと肝臓に転移が発見されてしまいました。
プロローグ p6
それでただちに昭和大学病院に入院して、最初は肝臓のその転移の部分に針をさして、超音波で確認しながらラジオ波というもので焼き払ってガンを退治する、という療法が考えられていたようですが、あいにくと昭和大学病院でも念のため、というので入院したその日にCTをとったところ、「もうひとつ」おまけみたいな転移がやはり肝臓に見つかってしまいました。
1つなら焼いても済むが、2つとなると、細胞レベルでまだ沢山の転移がひそんでいる可能性が高くなる、ということで、このラジオ波療法は急遽とりやめ。この時点で、「このまま何も治療しないでいれば、余命は1年あるかないかであろう」という宣告が下って、なかなかに「ガンとの攻防」は一気に切迫してきてしまった。というわけです。
プロローグ p7
まあこういう病気をしているといろいろつまらんことでお利口というか、知識を得られるものですが、すい臓ガンから転移したガンは肝臓に出来ても肝臓ガンじゃなくすい臓ガンなんだそうですね。だからいまの私は「肝臓にすい臓ガンのある状態」ということになったわけです。ただ、かなり早期の発見ではあるので、それがメリットその1ですが、「ジェムザール」という抗ガン剤を、退院以来すでに2ヶ月使っていたので、それを使っている最中であるにもかかわらず転移が出来てしまったということは、この「ジェムザール」が「効いていない」ということだから、これはデメリットその1。
プロローグ p7-8
肝転移、じつは私も最初からありまして、だから私の場合は「肝臓に乳ガンのある状態」なんですね。たまたま今回のPETを最初のものと見比べたら、最初肝臓のほぼ半分を占めていた巨大な赤いものが小さい丸がいくつかになっていました。私の場合は抗ガン剤がなんとか効いているということで胸をなでおろしたところでしたので、決して油断はできない状況ではありますが、今のところごく普通の生活を送っています。ガンは本当に一人ずつ違って、治療もほぼオーダーメイドなんだと実感します。
中島さんの場合は「さあ、これからまた普通の生活に戻るぞ」と思った出鼻をくじかれたわけで、そこに全身に使っている抗ガン剤がきいていなかったというのはかなりのショックだったと思われます。でもそこで冷静にデメリットを分析できるところが作家さんの特性かもしれないな、なんて思います。
「いまの私」というのは「ガンをかかえた私」
何もくやむことのない一生。それが60年だったとして、何をおそれたり拒否することがあろう。60年「も」生きてこられたのだ。愛する人を置いてゆくのは辛いが、どうせいずれは遅かれ早かれそうなるのだ。ガンならガンでかまわない。というより、「いまの私」というのは「ガンをかかえた私」なのだ。それを否定しようとは思わないし、何がなんでもそれをなくしてやりたい、とも最近思わない。たまにお腹を撫でて「ガン太郎君たち、大人しくしててね」と話しかけてやるが、いずれ末期になればこやつらも暴れ出すだろう。それが自分の運命なのだったら、それはそれで受け入れようと思う。乳製品が乳ガンの原因だ、という話は説得力があったし、本当かもしれないが、すべての乳製品を厳密に排除し、厳格な食生活をしてまで乳ガンを撃退しようとは思わない。どうせもう片方の胸はないんだし。
11月4日(火) p76-77
ここはね、私も普段から思ってきたこととほぼ同じなんです。思いきり同意というか…今の私でどう生きていくか、それこそ残り少ない「かも」しれない人生ですからね。そして死は誰にでも平等に訪れるということです。悔いのない人生を送れたらそれで充分なんですが…かなり贅沢なことかもしれないなとも思います。その時にならないとわからないですよね、最後の最後に思いがけない後悔が出てくるかもしれませんからね。
乳ガンの原因の一つが乳製品という説は私もいくつか見かけました。でもね、今もバニラアイスやプリンは大好きだし、ヨーグルトはほぼ毎日食べてるし、もともと牛乳はあまり飲まないんですけど、まるっきり乳製品を排除して必要な栄養が取れないのは本末転倒だし、なんにしても食べすぎはよくないとは思います。まあ、どうせ片方はないんだし…っていうのも私の実感でもありますしね。
それを言えば私はむしろ「ブドウ糖」は少ないほうがいいのでは?とは思いました。先日受けたPET検査というのは、FDGという放射性フッ素を加えたブドウ糖を注射して、それに集まるガン細胞を映すものとのことなので、つまりブドウ糖はガンのエサのようなものかなと思った記憶があるんですね。まあ、だからと言って極端な糖質制限をしてもね、脳にはブドウ糖必要ですから、あまりに控えすぎて脳が回らないのも困りものですし。なにごともほどほどがいいのかな?と思っています。
この本でも食べ物についてのことがとても多く書かれています。もともとお料理好きだったようで、とても手の込んだ料理を自分が食べられなくても家族に作っていたりされていたんですね。私ならここは絶対手抜きのオンパレードになりそうなんですけど。でもやはり基本は体は食べたものでできているということを感じました。そして何を食べられたかで体の状態を感じていたみたいですね。私も経験ありますが、本当にダメな時は何にも食べられませんから。
来年になったら… つきない願いごと
来年になったら、もう枕から頭があがらぬ病状になっているのだろうか。それとも、もうちょっとは元気になっているのだろうか。来年の今日、私はこの世界に存在しているのだろうか、それとも人々の追憶のなかにしか存在しなくなっているだろうか。それでも、本は、何年かのあいだは、まだ出続けるだろう。ストックは2万枚もある。グインのストックもそのくらいあるといいのだが。が、そう思うのも妄執というものか。
11月29日(土) p109
そのときそのときに揺れる思いが綴られていきます。未来は誰にも分らないにしても、やはり気弱になる時はあるんですね。それでも中島さんの場合は「作家」としての心配事が多いようですし、またそれが生きたいと思う原動力だったんですね。振り返って私の場合その原動力があるのかと考えると、かなり心もとない気もします。
ささやかすぎるほど小さな幸せの数々ーそれをこそ大切にして、1日1日感謝しながら生きてゆかなくてはならないのだ。なんとなく、神仏に頭を下げたいような、無条件に祈りたいような気持になる。私はまだ生きているーそうして、ほんの一週間前のあの、夜も寝られなかった痛みからも解放されている。それこそ神仏の恵みに違いない。という気がする。この思いを知らせるため二こそ、神は私に癌を下さったのかもしれないなあ、とさえ思う。
12月28日(日)p138
ささやかすぎるほど小さな幸せ、思えば病気になる前には不満に感じていた同じことが、なぜかありがたいものに変わったこともたくさんありました。ある意味病気に強制されている感もありますが、死んでしまっていたらできないことが「できる」だけでも確かに幸せなことなんだな、という実感があります。そう「まだ生きている」からこその想いなんですね。
ときどき、音を立てて「生きる意欲」が萎えてゆくのがわかる気がすることがある。何が直接のきっかけ、というわけでもない。だいたい食事がらみのことが多いけれども、「誰も理解してくれない」と感じるときとか、「もうこれ以上の重荷に耐えてゆけない」と思うときとか、「誰一人私の背負っているものに同情してくれない」と思ったらーからだがだるくて、夕食の支度をしなくてはと思ってー誰も何も手助けひとつしてくれないのだ、と思うときに、「まあもう、長くなくてもいいか」とふーっと水底に吸い込まれるように思う。そうかと思うと、息子にもっと、沢山好きなおいしいものを食べさせてやりたい、旦那に孤独な老後を送らせたくない、翔さんが私がいなくなったらどんなにショックを受けるだろう、と思ったりするときには「生きなくては」と強く思ったりするのだが。その繰り返しのはざまのように、波がやってくる。今日は悪いほうの波だ。
1月15日(木) p151-152
それにしても夕方から9時ぐらいまでの精神の波の揺れ方はかなりのものがあって、それも結局けっこうなストレスだなあ、と思う。一瞬にして「もう生きていても仕方ないからもう死んでもいいぞ」と思うか、「まだ生きていたい」と思うか、谷底から山の上まで波が上下するみたいな感じで気持ちが変動する。いつも安定した気持ちでいられればそれにまさることはないんだろうけれども、癌をかかえ、毎日あちこち痛かったりだるかったりしながらなかなかそう出来るものじゃない。
1月15日(木)p154-155
結局、ガンにならない限り、私はいろいろなことを諦めたり、依存症から抜け出したり、トラウマから自由になったりすることができなかったんだなあ、それほど私の精神は弱いんだなあ、と思うと、とても不思議な気持ちがする。だがガンになったおかげで一気に減量も出来たし、着物を買って買って買いまくる買い物依存症も、出かけられないものだから起こりようがない。
1月17日(土)p159-160
こうしてみると本当に心が行ったり来たりしているんですね。これでもほんの一部の抜粋なので、実際に何が起こってどう思って気分があがったりさがったりしたのかは、本編を読んでいただくしかないのですが、病気と真正面に向き合って、すべてを自分のこととして受け止めていたとしても、それでもやはり心はこんなにもぐらぐらと揺れ動くものなんですね。中島さんの場合鬱も持っていたということで、これについても本編にはいろいろ書いてありますが、本当に大変だったのだろうなとの想像はできます。
「すべては夢」自己の存在意義を考えるとき
この時期はグインのアニメが放映された時期でもあり、病を押してインタビューにもこたえていたみたいです。それでもそういう時に着物が着られることが本当にうれしそうでした。
なんとなく、インタビューをしていて、途中で「すべては夢だなあ」というような気分にとらえられる。結局小説を書いていない私というのは、「かりそめの存在」にしかすぎないのだろう。どれだけ一生懸命現世の人間のふりをしていても、やっぱりかりそめの存在なのだ。こうして戻ってきて、日記を書いているだけでも、「帰ってきた」感じがするし、もうグインの世界にゆく時間ではないけれども、とりあえず「トウォネラ」だけはちょっとのぞいて、1行でもいいから書いてから寝ようかな、などと思ったりする。結局のところ私の人生とは、小説のなかに封印されてしまったのだ。ほんとに、すべては夢、なのかもしれない。小説が本当で、あとのことのすべてのほうが夢なのかもしれない。
2月5日(木)p172-173
この本の最後に「栗本薫/中島梓 全仕事」という5ページにわたるリストが載せられています。ものすごく細かい文字でびっしりと書かれたもので、老眼の私などは眼鏡なしには読めないほどの細かさなのですが、30年以上にわたり本当に多岐にわたる作品群で、虫眼鏡を使って数えてみたら420以上あり、私もこのうち半分以上は読んでいるはずなのですが、その多さに改めてすごい人だなと実感しました。そのほかに長唄とかピアノ(シャンソン・ジャズ)とかでライブをやり、ミュージカル舞台を作って演出まで、あの小さな体に一体どれだけのパワーを持っていたのだろうと思うほどですが、その裏でこんなにもつらい日々を乗り越えていたことに、ただただ尊敬の想いしか湧いてきません。
「そのとき」までどのようにしていきてゆくか
私は今も生きたがっているし、心も生きたがっている。だけれども、いつまでそれがガンの力に打ち勝っていられるのか、もう降参だ、もういい、もう頑張らなくてもいいや、と思うとき、がくるのか、結局のところ母はそういう不安や苦しみがこの家に存在している、ということを認めたくない、認めまいとしている、というだけの話だ。だがそれも、85歳になってみれば、不安も心配もなしで安らかに生きてゆきたいと思うのが当然だろう。
だが、どれだけ親に心配をかけたくない、子供を苦しめたくない、と思ったところで、この病気をなかったことにすることだけは出来ない。それだけは、もしできれば私が一番そうしてくとも、結局のところ出来はしないことなのだ。だからこそ、「《そのとき》までどのようにしていきてゆくか」がもっとも重大にあるのだろうと思うのだがー
2月10日(火)p174-175
ここはどんな病気であれ、誰しもが考える部分ではないかと思います。家族に心配をかけたい人はいないですし、自分が病気になったことだけで申し訳ない気持ちは募ります。なかったことにしていきてゆけたらどんなにか気が楽だろうとは思うものの、心の準備を先送りしていると、いつかとんでもなく大きなショックとして戻ってくる気がします。要は今現実に目を背けることでどんな結果になるのか…それを想像できるかどうかがその人の「これから」を決める決定的なひとつになるのではと思います。自分の中に様々な人生模様の「ワールド」がいくつもあった中島さんだからこそ、それを避けないで見据えることが出来たのではないかと思います。
そんな時「読書」の効果を感じることがあります。人の体験を追体験できるということ。人は一回しか生きられませんから、他の人の人生を知ることはなかなかできることではないのですが、こうして本を読むことで、誰かのその時その時の想いを感じ取り、想像力をはぐくむことが出来、ある意味「心の準備」ができるような気がします。自分で作り出す人はまたそのはるか上を行くんだなと実感しますが…
実体験によるものだけでなく、その想像力で作り出された世界を見せてもらえる小説の世界もまた、読者として想像力や共感力をはぐくむ疑似体験の場としてとても大切なものだと思います。これもまた読書のくれるとても大切な宝物ですね。
「今年の桜がみられるかどうか」が重大なポイントのひとつだった
3月から4月にかけて、桜のことを書いたところが目に付きます。ことのほか桜が好きで、着物にも桜の柄のものがたくさんあって、それをこの季節に着ることがとても楽しみだとも書かれています。お友達とちょっと出かけて見かけた桜でもうれしそうでしたね。
私も桜は大好きで、桜の季節になると見に行きたくてうずうずしてしまいます。実際昨年に、病院の点滴のあと本当は安静にしなくてはいけないのに、ふと「あ、あそこの桜は咲いたかな?」と思って桜名所を3カ所もひとりではしごしてしまいました。その距離約100km、さすがに帰宅してげんなりしましたが、心は桜と満足感で満杯になりましたね。その時の私も「来年の桜みられないかもしれないから」という気持ちが確かにありました。
いつまで続くぬかるみぞ、だ。だがとりあえず3月を見送った。私はまだ生きている。食欲もなく、歩くのもおぼつかなくなりつつあるが、それでもちゃんと生きている。1ヶ月づつ、1日づつ、丁寧に。ーなどといっても結局はだらだらしてしまうことのほうが多いけれども、それでも、また今年の花に会い、春に会えたのだから、いまはもうそれでよしとしよう。これ以上今は何も望むまい。あとはただ、旦那の手術さえ無事に終わってくれればいい。
3月31日(火)p213-214
おそらく中島さんも今年の桜、来年の桜と、桜を見ることが一つの小さな経由地として心にあったのだと思います。昔読んだ、そして本編のどこかにもあった「最後の一葉」よりも、日本人としては桜の方がなんだかずっとしっくりする感じがするのは、私も桜が好きなせいだけなんでしょうかね?
その後旦那様の手術は4/17日、そして中島さんがこん睡状態になったのが5月17日、そして5月26日に永眠されたそうです。本当に遅まきながら、ご冥福をお祈りいたします。
もし、この当時の私であれば、この一連のエッセイを読んでもおそらくは全く違う感想や思いになったと思います。たまたまこのタイミングで、ガン患者という当事者になって、ある程度体と心が落ち着いてからというのも、どこか不思議なめぐりあわせのようながします。
今は経験者に話を聞く機会は本当に少なくなりました。コロナ以前は患者会で小旅行や飲み会があって、その体験をいろいろ聞くことが出来ました。でも今は、おそらく一人孤独に悩んでいる人も多いと思います。そんな人にも読んでほしいシリーズでした。
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